診察拒否のピック病

 

「うちの夫は怒り方が激しくて激しくて…。とてもじゃないけど受診なんかできません。」

 

 そう言われたら、もうそれだけで…おそらくピック病かな、とあたりがつきます。
「行かなくていいよ〜。」と軽く渋るとか、少々不機嫌になるくらいであれば他のタイプのこともありますが、火がついたように怒るとか、待合室まで来たのに怒って診察室に入ってくれないとなると更にピック病らしさは増します。

 

 ピック病は、前頭側頭型変性症の1つ。前頭葉症状が強いのがピック病と考えてもいいです。前頭葉の役割は、‘理性の座’
 例えば目の前の相手が何だか気に入らないなとか、偉い先生がしゃべっているけれど話がつまらないなという状況に置かれても、普通の大人はあるていど我慢しますよね。気に入らない相手をすぐにグーで殴ったり、目の前で人が話しているのに部屋を出て行ったりはしません。そんなことしたら悪いなとか、自分が後で困るなとか(笑)色々事情はあるにせよ理性を働かせて衝動にブレーキをかけます。これが前頭葉の役割なのです。前頭葉が病気のせいで萎縮すると、ブレーキが利きにくくなって…アクセル全開になります。
 つまり気に入らない相手に手をあげてしまったり、無理に診察室に入るよう促しても頑として入らなかったり、まだ診察途中なのに一人で出て行ってしまったり。教科書には‘Going my way’(わが道をいく行動)という名前がついている、立派な一所見なのです。

 

ついでにピック病の患者さんは、先ほどまで笑っていたかと思うと突然怒り出すことがあります。その怒り方がスイッチをパチンと入れたように唐突なので、スイッチ易怒などと言います。

 

診察拒否のピック病

 

 人間なんだから怒るのはあたりまえだろうと家族を説教した医師がいるようですが(家族さん談)、ピック病の患者さんの怒り方は、通常の感覚で納得できるような事情もなく、また怒る理由に見合わない激しい怒り方で、家族からすると「なぜ怒っているのかわからない」「そんなことでそこまで怒る理由がわからない」という感覚。 怒りが静まる時も突然で、さっきの怒り方は…と驚くほどケロッとしているようですが。
いずれにしてもいつ怒りを爆発させるかもしれない家族と四六時中共にいるご家族のストレスは、かなりのものだと思います。診察を拒否している方こそ、家族が診察を必要としている人なのです。

 

 でも大丈夫。怒って診察室に入ってくれないから、診察できない…とあきらめるのは早い!診察する医師の協力が得られれば、それでも十分です。
 確かに保険診療では、本人を診察しなくては薬を処方できません。ただ、待合室で大声で怒鳴ったり、帰るの帰らないのともめている現場を、主治医がちょっとドアを開けて見に来てくれれば、それは「診察をした」ということになります。
家族が先生に、そこに至るまでの経緯や日常生活での症状(困りごと)をしっかりお話し、本人が「怒って診察室に入ることを拒否した。」とカルテに記載してもらう。これはピック病の立派な所見ですから、ピック病の疑いということで、1回目の処方が出来るのです。
そうすればしめたもの。ピック病の治療は1にも2にも過剰なエネルギーを鎮めること。市立病院の看護師さんに「マジカルパウダー(魔法の粉)」と言わしめたウィンタミンのような抗精神病薬を適量使うことで、日常生活はかなり穏やかになることが期待できます。
血液検査もCT検査も、ぜんぶ後回しでいいのです。ある程度穏やかにならないと、検査などできないのですから。

 

 私が初めて治療したピック病の女性患者さんも、このパターンで治療導入に成功しました。元々ご主人が私の元に糖尿病で通院。血糖コントロールが悪化していく理由を聞いたところ、「奥さんが認知症で、ファミレスで次から次へと甘いものを頼んでしまうんです」と。テーブルいっぱい頼んでおいて自分は一口しか食べないから、夫が残りを食べる。そりゃ糖尿病が悪くなるわけです。

 

診察拒否のピック病

 

 当時新しい認知症治療を勉強したばかりの私は、このエピソードにピンと来て、奥さんはおそらくピック病だから、私に治療させてほしいとお願いしたのです。いつもは旦那さんの診察中に待合室で待っている奥さん、今日は一緒に診察してもらおうと夫に声をかけられても「私はいい!」と診察室には入ってくれません。私が待合室のソファのところまで行き、「初めまして。」と握手を求めて手を差し出したところ、硬い表情でパンッ!と手を叩かれてしまいました。強烈です!ご主人はしきりに謝っていましたが、私は「これがピック病か…」と変な感動を覚えていました。この日のエピソードをカルテに記載したのは言うまでもありません。

 

診察拒否のピック病

 

 強烈なファーストコンタクトを残したこの女性、1回目の診察でウィンタミンを処方し、
2回目の診察。今日も待合室に…と出て行ったところ、にこにこ微笑むご本人が。なんともよい笑顔です。そして先日は私の握手を叩いたご本人が、2週間後には私に握手を求めてきたのです。ウィンタミン、すごい!と驚きました。